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靴ではなく、「ステファノ・ベーメル」という価値を手に入れる。大切にしたい1足が必ず見つかる。

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夭逝の天才 短すぎるステファノ・ベーメルの生涯

順調に、着実に実績を重ねることで与えられた称号

https://www.forbes.com/forbes-life-magazine/2008/1027/056.html

1988年、靴の修理工であったステファノ・ベーメル氏がフィレンツェで立ち上げたました。修理することで古い靴の構造を理解し、靴作りの研鑽を重ね独自の解釈を加えていきます、彼は 『天才アルティジャーノ(職人、工芸家)』、『革の魔術師』とも呼ばれていました。

素材使いが独特で、象やカバ、シャークスキンなど、それまではあまり用いることのない革を使い、それに見合った構造と縫製を施して注目されるようになりました。クセのある素材を使いこなすには高い技術と柔軟な対応が必要です。木型を削り、革をかぶせ、手縫いで仕上げるという手間のかかる方法を極めることがステファノ・ベーメルを高い評価に導いてくれました。

http://www.claymoorslist.com/2013/10/portrait-of-a-shoemaker-stefano-bemer.html

創業から僅か10年でフィレンツェの名店『タイユアタイ』のディスプレイを飾る事になります。この店はダンディズムの象徴、現世のボー・ブランメルとの称されるフランコ・ミヌッチ氏が立ち上げた服飾店で、ネクタイを結ぶことから得られるライフスタイルを全世界に発信するメンズファッションの聖地として常に注目されています。

急死により状況が一転、しかし支えたのは日本人職人でした。

https://riddlemagazine.com/stefano-bemer/

ステファノ・ベーメル氏は親日家としても知られていて、2002年には既成靴(プレタポルテ)を日本でデビューさせています。この成功がアメリカ進出のきっかけとなったと言われています。しかし2012年、仕事中に倒れ、48歳の若さでこの世を去る事になりました。

その後のブランドを支えたのは、彼の妻と、クオーラ・デル・クオイオという皮革学校の子息トム・マーゾ、そしてふたりの日本人の女性職人でした。経営とマネージメントはトム・マーゾがコントロールし、現場の士気はふたりの日本人が担うという現在のコンビネーションが確立していきます。

http://brift-h.com/stefano-bemer-x-brift-h-%EF%BD%9Epatine-accessories-trunk-show%EF%BD%9E-2/

日本でのオーダー会などを定期的に実施しているのは、ステファノが親日家であっただけでなく日本人職人の存在が欠かせません。ふたりが中心となり、その他にも毎年数名の日本人職人が修行しながらブランドの基盤を支え、進化の道を模索しています。

http://stefanobemer.com/training/

伊勢丹のサイトでも購入することは可能ですが、一度はオーダー会などに出かけて実物に触れることから始めて欲しいいと思います。そこでは素材がどうの、縫製が優れているなどではなく、ステファノという価値に触れて欲しいのです。商品説明の代わりに、ステファノのある風景をショートストーリーにしてみました。