記事作成日:

3日で400足売れたという日本上陸から20年。「TOD’S(トッズ)」はますます加速する。

当サイトの記事には広告、アフィリエイトが含まれています。

TOD’Sが日本に託したスキーム。アジアへ、そして世界へ。

雑誌LEONの功績 or 功罪 イタリアおやじと言えばTOD’Sのドラシューという不文律が生まれた。

http://www.tods.com/it_it/tods-touch/presents/marlin-thesartorialist/

2001年『もてるオヤジの作り方』をコンセプト?にした雑誌『LEON』が創刊されると、TOD’S人気は一気に男性層を取り込みます。イタリア人スナップを真似た、いや参考にした『ちょい悪オヤジ』が巷に増殖し始めます。彼らはTOD’Sを代表するドラシュー=ドライビングシューズ『ゴンミーノ・モカシン』を素足履きしていました。

雑誌のコンセプト実現のために、TOD’Sを初めとするイタリア発ハイブランドを身に付けるという輩も居たにはいたでしょう。しかしバブル以降消沈していたよどみを晴らしてくれる薬効を、『LEON』ブランドに求めたという見方もできます。

バブルというと、浮かれた時代を揶揄するように捉えるむきもありますが、一方様々な価値が交錯し日本が世界標準に近づくきっかけになれた期間だと読み解く評論もあります。ですからTOD’Sが真にクオリティの高い商品でなければ一過性のブームで終わったと思います。その後の躍進につながってはいません。

http://www.tods.com/it_it/tods-touch/presents/marlin-thesartorialist/

『LEON』というチャンネルだけでなく、情報発信の基軸はインターネットに移行し始めていました。現在それはSNSという新しいメディアを生み出し、より自由に情報交換できるようになっています。そうした波をうまくとらえTOD’Sの人気は加速します。しかし、その起点は日本にあり、カギを開けたのが『LEON』ではなかったという見方は乱暴すぎるでしょうか。

TOD’Sのドラシューはイケてるオヤジに必須アイテム、複数持ちも当たり前という噂がまことしやかに流れるほどの大きなうねりが見れた時代でした。

世界へ 2004年 世界最大規模のブティックを表参道にオープン

http://www.tods.cn/zh_cn/tods-touch/presents/tods-marlin-hyannisport/

日本での手応えを感じたTOD’Sの行動は鮮やかでした。2004年には、タイトルのような大きな展開を仕掛けます。日本上陸の97年からスタートさせたバッグ部門の人気が定着してい事もあり、日本市場を基軸としたアジアへの浸透、世界への進出へのスキームが始動したのです。

東京から始まった日本進出は大阪や福岡へと規模を広げていきます。日本人マーケットは着実にひろがり成熟していきました。しかしTOD’Sはシューズとバッグ中心のブランドかアパレルまで展開すファッションブウランドへ転身していくことで、顧客を飽きさせることなく、また新たなファン作りに邁進しています。

現在日本で15店舗展開するTOD’Sにとっての顧客は日本人だけではないようです。中国や広くアジアから訪れる観光客需要も大きいのだと聞こえています。そうした好機に『日本限定ゴンミーノ・モカシン』というプレゼントをTOD’Sは仕掛け、大きな話題作りと成功に結びつけました。

ドライビングシューズのイメージが強いTOD’Sですが、確かなモノ作りの精神は他のデザインやバッグ作りにも生かされています。革小物のトータルプレゼンテーションとしてメンズラインも充実しています。ビジネスでも使えるウインチップやバッグも選択肢が増えています。

https://www.pinterest.jp/pin/81205599509388678/

バッグや靴を、パートナ―とお揃いで楽しむ事が出来るのもTOD’Sの魅力です。過ぎないデザイン、控えめなロゴの刻印、質感の高い素材など、このブランドでしか味わえないものばかりです。背景にはブランド確立以前の歴史にカギがあるようです。